No.1155   ゴマンの「必死」の形

少し冷静さを欠いている自分に気がつくときがあります。
例えば今です。
こんな時の記載はとんでもないことをやらかしそうで・・・

誰かを傷つけてしまったら申し訳ありません。
ただ、正直な思いをすこし
皆さんに訴えてみようと思います。
多分長くなると思うので
忙しい方はスルー願います。







人間が動物の端くれならば、

ぼくらは
必死に
生きねばならないという持論がある。

例えば肉食獣は定期的に獲物を捕らえなければ


例えば草食獣は常に肉食獣の気配を探りながら生きねば、



ある人は、
『人生なんてものは余暇である。
 楽しんだモノ勝ちである。』
と言っていた。

それはすべての人には当てはまらないと思う。
なぜなら多くの人が、生きるというだけで、苦しみ、汗水垂らして働いて
必死に生きているからだ。
余暇などとは思えない人々がたくさんいるだろう。

僕の考え方ももちろんすべての人に当てはまらない。
ただ、今不況という状況下、
特に家族を支えて生きる人にとって
必死に生きる(例えば働く)必要性がいまさらながらに叫ばれている。

「夢を見にくい時代になった」
と言う人がいる。

僕はそうは思わない。
オリンピックは世界記録を更新し続け、
ギネスブックはどんどん太り、
ECOは世界を加速し、
ブログを書く人も恐ろしい勢いで増えた。
なによりも世界から笑顔が減ったとは思えないから。
そういう発言をする人の思い描く「夢」がへったのであって、
時代が変われば、そこの住む人々の「夢」も形を変えると思います。


あくまでも持論ですが、
みんな、何らかの形で夢や希望を持って生きているとおもいます。
アウシュビッツ収容所の中で、
笑顔を絶やさず生きた人もいるときいたことがあります。

もしかしたら
人間は動物ではないのかもしれません。

だとしても
植物も必死で生きている。
プランクトンもあれはあれで、
いつ死ぬかわからない状況下で生きているのだろう。
人間も生物であるからには
生死というテーマを避けられずに生きている。

軸がブレた気がしたのでもう一度修正。


ぼくらは
必死に
生きねばならないという持論がある。

常に必死であれということではなくて、
ここは「勝負!」という時に、きっちり勝負をし、
その勝負の瞬間までしっかりと手抜かりなく準備を進める
ということです。

最近サッカー日本代表の岡崎選手の記事をよく載せますが、
彼の「泥臭さ」が好きで載せるのですが、
彼が、ここは「勝負!」という時に、きっちり勝負をし、結果が出せるのは、
その勝負の瞬間までしっかりと手抜かりなく準備を進めているからだと思います。

クラブで定期的に与えられたメニューの練習を確実にこなし、
自分の良さ(動き出しのよさ)がどこにあるのかを日々日々良く考え、
自分の悪さ(身長のなさ・スピードのなさ)をどうすればカバーできるか日々日々良く考え
そのための研究を繰り返し、それを練習・本番で繰り返す。
家に帰っては、奥さんや子供の顔を見て明日も頑張ろうと決意する。

僕はこれを繰り返す流れをもって本人の口から語られる。
「もう必死っすよ。」

こそが真実の『必死』のひとつなんだなぁなんて思います。

きっと世の中にはゴマンの「必死」の形があるともいます。
それと同時にゴマンの「非必死」の形があるともおもいます。

毎日の暮らしが自分なりの「必死」の形であるか自問自答しながら、
いつか「こんなはずじゃなかった・・・」と自分に言わぬよう
それこそ「必死」に暮らしていこうとか
時々考えます。
by 123455677 | 2009-06-10 16:02 | しそぉー
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